会いたかった人は精神科医*その2

【旧ブログ・いつでもJUMP!ときどきWALK?】
~長女の亡くなった主治医についての記事です~

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主治医の言葉は色を茶色にしています。

初めて会ったその男の先生は、目の下に真っ黒なクマがありました。
年齢は40代後半くらいに見えました。
「僕ね、睡眠障害なの。副作用が出ちゃうから薬飲めないの」と、にっこり笑いかけてきました。
いつもタバコの香りがしました。一人の患者の家族と話が終わると、必ずタバコを一服。それから次の患者と面会します。

話し方はとってもフレンドリー。オーバーリアクションで、外国の方の様な仕草でした。
「僕はね。ADHDの子どもが大好きなんだよあんなに、子どもらしい子どもっていないよ。だから僕は小児科医をやめて発達障害の先生になったんだよ」

「それにね。僕自身、発達障害だよ」

「僕ね、漢字書けないの。でも医者になってるから。漢字が書けなくても、パソコンがあるから大丈夫!」

そう言って笑う姿が思い出されます。

月に1回の診察、私だけが行って、相談に乗ってもらいました。
どんな些細なことも一生懸命考えてくださいました。
私の中の常識を次々と壊してくれた主治医でした。

 

長女が小学校3年生の時、発達障がいを疑った5年前、ある国立大学の発達を勉強する学生や、その関係者が発達の検査をしてくれるということで、検査を受けました
その大学が、調べた子どもの追跡調査をする為に依頼があり、長女が5年生のとき、再び検査をしました。その時、長女にADHDの告知をしました。

5年生の検査結果、発達の状況を示す折れ線グラフの形は、ほとんど変わらず、ただ、グラフが表すIQが底上げされていました。

大学の方に、お母さん。いったいお子さんをどうやって育てたのですか?短期間(2年半)でこんなにも成長するなんて!と、驚かれました。

「できること」と「出来ないこと」の差は変わりませんが、IQの底上げが大きかったから驚いたそうです。

私:「○○先生が主治医です。全て、○○先生の方針に従ってきました。あとは、娘に合った塾に行っているからかもしれません。」

大学の方:「○○先生ですか。あの先生はいいですよね~。でも、ちょっと変わっていませんか?」

そう、先生は常識にとらわれない方なので、変わっている。そう思う方も多いかもしれません。

二女は、保育園入園当初、登園しぶりがひどく、主治医に相談に乗ってもらっていました。
ただ、主治医の小児心療内科は療育がないので、療育のある病院を紹介されて移りました。
「何かあったら、いつでもおいで」そう。仰ってくれた主治医。

何故、療育のあるところに移ったか……
主治医は「お金がもったいない」ただ、それだけを言っていました。
療育と自分のクリニックの2か所は、経済的に負担がかかる。
( 二女に )薬が必要になったときだけ(小さいころは薬を飲んでいたので)
きたらいいよ。節約しなくちゃね。という考えでした。

長女は、5年生の冬休みで通院をいったん打ち切りという形を取りました。
理由は……
「お母さん、お母さんがこれだけフォローできているから、もう、長女ちゃんは大丈夫だよ。毎月はお金がかかるから、何か困ったときだけおいで。塾代、大変でしょ。ま、これは医者としてではなく、個人的な意見だけどね」

我が家が、長女の塾代を工面するのに大変だということを話していたので、そう提案してくださいました。

私が「先生に会えないのは寂しいです。3か月に一度くらいで予約しますね」と、答えると

「え~。僕に会いに来てくれるの?嬉しいな~。それは大歓迎」それが、主治医と話した最後の言葉でした。

それから、長女はすぐに受験に突入。受験に付き合う私も忙しくなり、主治医のところへ行くことはありませんでした。

主事の方針と、アドバイスを受け入れてきた私でしたが、ただ一つだけ、主治医のアドバイスを聞かなかったことがあります。
それは、長女を私立中学へ入れること。

主治医は、長女は公立の中学へ行った方がいいと、常々話していました。
でも、それは医者としてではなく個人としての考えとも言っていました。

主治医が、公立を勧めるには理由がありました。

長女ちゃんは塾が世界で一番好きな場所と言っている。学校が世界で一番好きな場所になることはなかったよね。お母さんに、私立中学へ行かせながら塾へ行かせるお金があるならいいよ。でも、それはできないのだろう?

中学はね、発達障害の子どもにとって人生で一番辛い時期を過ごさなくてはならないと言っても過言ではないんだよ。

まあね、学校なんてさ。心がズタズタに傷ついてしまうくらいなら、行かなくていいんだよ。傷ついた心を元に戻すのは大変なことだからね。

公立なら、長女ちゃんは学校と塾と二つの場所を持つことになる。もし、学校が嫌になったら塾だけ行っていればいいんじゃない?どこかに居場所があるのは大切なことだからね。それならお母さん、お金出せるでしょう?

私立中学へ行かせて、学校へ行かないって言ったら「行かなくていいよ。」って言える?(高いお金を出してるから言えないかもしれません。と、当時、私は答えています)

最初っから公立で、学校とは別に、大好きな学ぶ場所(塾)を確保してあげたらどう?

僕はね、長女ちゃんは、将来すごい事を言い出すような気がするんだよ。留学したいとか、県外の大学で勉強するとか、海外で働くとかさ~。

その時のために、お母さんは私立の授業料を払ったつもりで、貯金したらどうかなって思うんだよ。彼女の素晴らしい可能性のためには、お金かかる気がするんだよね~。
それが、主治医が私立より公立へと思う考えでした。

当時の私は、第一志望の中学を落ちたら公立へと思っていたし、長女があんなにも行きたがっている第一志望校へ行かせない選択は出来ませんでした。

そして長女の中学校生活は、第一志望に合格できず、今の私立中学へ行きました。
でも、私立中学で悩む長女が、主治医に相談をしたら、きっと主治医は、長女の心が軽くなるアドバイスをしてくれたはずです。
そして、困ったことがあったらいつでもおいで。と。声をかけてくれたはずです。

私も、娘たちも、発達障がいと一緒に、これからも生きていかなくてはなりません。
普通の(定型の)子どもより、生きにくさを持つとされる発達障がい。
でも、それを個性として、凸凹と一緒に楽しく生きていこうと思うことが、主治医への恩返しなのかもしれません。

主治医が亡くなったと聞いたとき。「なぜ先生が?」「どうして先生が?」そんな言葉が頭を埋め尽くしました。

主治医を頼る患者さんは多かったです。
児童相談所の方も「私たちがとても信頼している先生です」と紹介してくれました。

夏休み等の長期休暇には、九州全域から、悩みを抱えた親と子どもが来院する、素晴らしいお医者様。
いつも、誰よりも、子どもの味方でいてくれる主治医。
生きていたら、多くの悩める子どもと親を、救うことができたのに。

素晴らしい主治医に巡り合えたことに感謝し、主治医に教えてもらった事を心に留めて、子どもたちと笑顔で毎日を過ごす。
小さな幸せ、小さな喜びを……見過ごさないように生きていこうと思います。