【旧ブログ・いつでもJUMP!ときどきWALK?】
~長女の亡くなった主治医につての記事です~
長女が「会いたい」と言っている人がいました。
学校で、何度も手を洗わないと気が済まなかった頃、「会いたい」と言う人がいました。でも、その方には、もう、二度と会えない。
私と長女の人生に大きく影響したその方に、感謝を忘れず生きていかねばと、思います。
長女が会いたかったのは、発達障がいの主治医です。
「親が変われば子も変わる」をモットーに、多くの発達障がいの子ども、不登校の子ども、悩む親を救ってきた先生です。
本人を連れてこなくては診察できない、学校の担任のアンケートがなければ診察できない、という考えが主流だった当時。(長女小学校3年生頃)
児童相談所から「学校へも知らせず、本人も連れて行かなくてもよい病院がありますよ」と言われ、藁にもすがる思いで尋ねた病院。
長女へADHDを告知をせず、不信感を抱かせることなく、母親の私だけが通院することになったのが始まりでした。
中学1年の長女が、初めて先生に会いたいと思ったとき、先生はすでにご病気でした。
予約制の診察も、訪れた順番にシステムが変わり、その日の診療があっているかどうかは、朝、電話しないと分からない。
その時、長女は、学校と部活を休んでいる状態でしたが、その後、問題をなんとか乗り越えた長女は、「いつか時間のある時に、主治医に会いに行く」ことにしました。
12月、二女の就学について相談しようと電話したところ、閉院したとの知らせ。
一番に尋ねました。「先生は生きていらっしゃいますよね?」返事はYesでした。ホッとしました。「生きているなら、いつか必ず会える」そう、信じていました。
でも、二女の就学についてはどうしよう。
そこで、知り合いから紹介された病院へ行ってきました。
私:「以前は○○診療クリニックに行っていました。閉院されたのでこちらへ来ました」と、話すと
先生:「あぁ。○○先生は亡くなられたからね……」
私:「え!いつですか!」
先生:「昨年の事だよ」
あまりの衝撃に何と答えていいのかわかりませんでした。
その場で泣かなかったのは、閉院の知らせを聞いたときに、泣くだけ泣いたから。
多分、それで涙は出ませんでした。
帰りに懐かしいクリニックへ寄ってみました。
シャッターが下りた病院、薬を出してくれる薬局は開いていたので、尋ねてみました。
薬局の方も「亡くなったらしい」と、噂でしか聞いていなかったそうです。
でも、「もし、娘たちの今までの記録が欲しいのなら近くに転院する患者さんのために
書類を作れる事務所を作っていますよ」と、わざわざ連絡を取ってくれました。
1時間後に取りに行く予定でしたが、二女が急にお腹が痛いと言って、吐いてしまったので、事務所に連絡すると、私と二女がいる駅まで受付の方が持ってきてくれました。
(受付の方は閉院した心療内科で受付をされていた方)
「ごめんなさい、本当の事を言わなくて。公表はしていません。患者さんや、ご家族のショックを考えると公にはできませんでした」と、話してくれました。
帰宅して長女に伝えました。
ちょうどお風呂上がりだった長女は、手にしていたタオルでしばらく顔を覆っていました。泣いているかどうかはわかりませんでした。
顔を上げて一言、「なんでだろうね。素晴らしい人なのに」
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ここまで読んでくださった方。ありがとうございました。思ったより長くなってしまったので、は明日アップさせてもらいます。