ADHDの診断を受けた経緯 & 13歳の誕生日

【旧ブログ・いつでもJUMP!ときどきWALK?】
★長女・中学1年生★

長女の13回目のお誕生日でした。

そういえば、このブログ。発達障がいについて思うことや、ADHDの特徴について、あんまり記事にしてなかったな~と思って。
長女との生活は、毎日が「事件です!」みたいだから……かな。

今回は、ADHDの診断を受けたことを書いています。興味のある方は読んでみてください!

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【 診断へ至る経緯 】

小学校に入ってから、長女が宿題ができないことに気が付きました。
出来ないというよりも、「やらねばならぬ」ことが苦手でした。
宿題を始めるまでに、1時間くらいかかっていました。

2年生の夏休み頃から、声をかけても促しても、宿題に取り掛からない長女に毎日怒ってばかりでした。

3年生になって、宿題の量が多い担任になりました。
3年生は算数で筆算が入ってきます。
算数のドリルの問題を、ノートに写すだけで、1時間以上はかかる上に、定規でイコール線を引かなくてはならない決まりだったので、それが上手にいかない。
でも、問題はスラスラと解くのです。

どう考えても「やる気がない」「怠けている」としか思えませんでした。

「ママは、問題が分からないなら怒らない。どうして、書き写すだけのことができないの。さぼろうとするの?」と、叱っても、できない。

今も、長女は書き写すこと、特に書くということが苦手です。これは、学習障害もあるかもしれません。

日常生活では、毎日声をかけても、時間割を自分からしない。
学校に行くとき、玄関に必ず体操服を忘れる。
片づける、しまう、が全くできない。
毎日、虐待しそうな自分との戦いでした。

もう限界と思ったとき……
小さい頃、「この子は発達障害ではないですか?」と、言われた事を思い出しました。

慌ててネットで「発達障害」で検索したら、ADHDの特性は長女そのものでした。

何よりもホッとしたのは、
「育て方が悪いせいではありません。生まれつきの脳の障害です」と書いてあったこと。
親としての教育が悪いんではないんだ、私のせいではないんだ。そう思ったら、涙が止まりませんでした。

長女が生まれてからず~っと……
私の何がいけないのだろう、私の教え方のどこが悪いのだろう
いつも自分を責めてきたからです。

診断を受けようと思い、あちこちの病院に電話しましたが、どこでも「学校担任のアンケートが必要」と言われました。
3年生の担任は、明らかに長女を嫌っていました。イジメにもあっていた長女。
私が担任を嫌いだったので、それだけはできない。

やっと見つけたのが国立大学の教育学部。診断はできないけれど、テストをしてくれるというので、行きました。3か月待ちでした。

同時に、児童相談所にも相談しました。児童相談所も3か月待ち。(児童相談所はすべて無料です)

そして、テストで「発達に偏りがある」という結果が出ました。
診断は、医者でないからできないと言われました。

テストの結果・・・・
*知能指数は普通(紙一重のギリギリです)
*不器用さが際立つ
*不注意優先
*言語性が高く、動作性が低い

等々、でした。

さて、結果が出てこれからどうしよう。
児童相談所が、長女の塾の近くにある「子ども心療内科」を紹介してくれたので、そこに行ってみる事にしました。
なぜかというと、長女(子ども自身)を連れて行かなくてよい、学校にも言わなくてよい、という病院だったからです。

そして、病院の初診までさらに3か月待ち、やっと出会えた素敵な先生。(面白い先生)
何度か通って、長女のことで困っていること、悩んでいることを相談に乗ってもらいました。そして、やっと診断へ。

「ADHDとアスペルガーを併せ持った広汎性発達障害」

診断が下りた時の私の気持ち……「ホッとした」それが正直な気持ちです。
私も長女も、どちらも悪くない。生まれつきの脳の一部の障害で、仕方のないこと。

長女が小さい頃、「もしかしたら、おかしいのではないのか?」と、いつも心にひっかかっていました。
でも当時は、自分の子どもに発達障がいがあるなんて信じられなかったし、受け入れられませんでした。怖くて3歳児検診にも行けませんでした。

ただ、ADHDは決して負の要因ではないそうです。
人よりも失敗が多くうっかりが多い、言葉の裏がわからない、暗黙の了解が分からない。
そういったことで「ダメなやつ」と責められ続けて、二次障害が出ることの方が怖いと、心療内科の先生が話してくれました。

この心療内科の先生、元々は小児科のお医者様。
でもADHDの子どもが大好きで心療内科の先生に変わったそうです。
なぜ、ADHDの子どもが好きか……「いちばん子どもらしいから」だそうです。

そういえば長女も、天真爛漫で元気いっぱい、明るくて、本能のままの子どもでした。

もっと早く長女の発達障がいに気が付いて、小さいころから療育を受けていたら……
と、後悔はありますが、悔やんでも仕方ありませんからね。

そして……教育学部の方、児童相談所の方、心療内科の先生、この方たちと巡り合えて、本当によかったです。

皆さん誰一人、私を責めませんでした。「お母さん。ひとりで今までよく頑張ってきたね」と言ってくれました。

そんなこと……言われたことはありませんでした。
いつも「躾のなってない親」「いまどきの親」そう言われてきました。

そして、心療内科の先生は、「親が変われば子も変わる」と教えてくれました。

フォロー次第で、いくらでも子どもの素敵なところを伸ばせるという事でした。

今、それができているかどうかは分かりません……思春期でバトルの毎日です。
でも、長女も私も一生懸命、生きています。

発達障害についての考え方は色々ありますが、私が思っているのは……
ADHDは、神様が長女だけに与えてくれた素敵な個性だということ。

13年前の秋晴れの午後。私たちのところに生まれてきてくれてありがとう。

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ちょこっと追記
13歳の誕生日は……
私とパパで、昼からプレゼント探しに歩き回っていました。部活が終わった長女と私は合流し、パパと二女は帰宅しました。
9時過ぎまでずっとプレゼント選び。今回は洋服だったので、安くてカワイイお店を探して長女と歩き回った一日でした。

自宅に帰った時にはヘトヘトで、義父が買ってくれたケーキで「おめでとう」と祝って、夕飯は、カップラーメンを食べたという……ある意味、記念すべき誕生日でした。